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アルツハイマー

2006/01/01

あけまして おめでとうございます

怒涛のように忙しかった 年末 大晦日も終わりました

さあ お正月!! ゆっくりするぞぉおおお!!って 言いたいところだけれど

本家の嫁は そうも いきませんo(TヘTo) くぅ

正月は 正月で しきたりどおりの お正月をしなければならないし

里帰りがあれば おもてなしもしなければなりません・・

あ~あ お正月は 煮炊きもしなくていいように おせちを作り

普段 忙しい 女の人も ゆっくりできるなどと いいますが

それは 他人事なんだと あきらめるしかないですね

それはそうと 実家にも 顔を出してきました

去年は 痴呆を発症した母も 姉と父の手厚い介護の結果

一時は 病院にも 預かってもらいましたが

自宅介護できるまでに 回復しました

(こういう 回復をするのは 奇跡的だと言われたそうです

やはり 姉の仕事柄の介護知識と 職場の先生方のアドバイスを

いろいろ受けることができた信頼関係そして 毎日 病院に 通って介護に励んだ

父の 愛情でしょう  本当に 2人には 頭の下がる 思いです)

バリアフリーに改装された実家 そして 痴呆になっても これだけ

手厚い介護してもらえる環境 母は 幸せだなぁ~と思いました

奇跡的な回復とは言っても 痴呆には変わりません

能面のような表情に 笑いが戻り

意味のない行動が 落ち着き

徘徊は 外にでたいという気持ちが 落ち着いたことと 車椅子なってしまった

ことで なくなりました(これは 母が 預けられた先の 精神薬の副作用というべきか

歓迎できることでは けしてないけれど・・・)

排他的行動 攻撃的行動は かなり 収まり

時々は いきなり コップや その辺にあるものを 投げるという

行動は あるけれど・・・・・ 回数が減り

時々は ふと 思い出したように 気の利いたことを

おしゃべりし 意味のある会話をしたりするようになり

でも・・でも まだまだ 介護の苦労は 計り知れないけれど

預けることの 後ろめたさ

心の痛みはないからと 姉は 笑っていました

これから どうなるか わからないけれど・・・・・・・

わたしより たくさん 苦労してる姉を助けることができれば

いいな・・・と 思いました

2005/03/18

喜びと 悲しみと・・・

息子が 公立に受かったと 喜んでいたら

今度は いきなり どん底に突き落とされた気分になりました


実家からの 電話


母の入所が 決まりました


正月明けから どんどん症状が悪化して

とうとう徘徊を始め 実家の父も 姉も とことん振り回され

疲れ果てての決断です

反対できるわけもありません

どんなに 母がかわいそうでも


なにも 手伝えもせず 苦しみを分かち合うこともできなかった
私は・・・・・・・・・

・・・・・苦渋の決断に ただ・・・ただ・・・・


うん しょうがないよって 承諾してあげるのみ・・


あのまま 家に置いとけば

疲れ果てた父が ちょいと 目を離した隙に

車道に飛び出すかもしれません

山の中に入り込んで 凍え死ぬかもしれません


そんな 最悪の結果を思えば


たとえ 家をでることになっても 入所したほうが
はるかに 安全でしょう


大好きな ビールは飲めませんが

大好きな タバコは吸えませんが


父が泣いていました


あんなに気丈な父が 泣いていました


大好きな 母ですが

大好きな 父をこれ以上 苦しめる事は できません


幸いにも姉が ケアマネージャーとして働いているところへ
入所ということになったので


いつでも 母の様子はわかるし 

それだけが 救いです

連れて行ったとき 姉が後から そっと 病棟を覗くと

母は 行ったり来たりと 歩き回っていたそうです

今日も 多分歩き回ったんでしょうね


閉鎖病棟の中を ただ ひたすらに 歩き続けて・・・・・・

つかれるまで ぐるぐると 迷宮の中


歩くことさえ 忘れるまで 


おかあさん 歩き続けるのですか?


2005/02/15

母のこと

元日行った時までは まだ 会話ができていました

わたしが 家に帰る前に台所で 食べたあとかたずけをしようとしたら
「ねえちゃんが 帰ってから するから 置いときなさい」と
気遣ってくれました

帰る時 おかあさん また来るからねと 抱きしめたら 抱きしめ返してくれました

帰るときは 車のところまで 来てくれて さよならしてくれました

このときは ああ なんか ひどく 老いてしまってる母に おどろきを感じましたが
それでも まだ 普通に 会話しできてたし

ぼけぼけしてきてることは 感じてたけど まだ 普通のひとだったんです


なのに・・・・


今日 会いに行った母は


もう 別の人でした

たった 一月ちょっとの間に こんなに 壊れてしまうものなのか

・・・・

もう 涙が とまりません

母には わたしが わかったのだろうか?

こわくて 聞けませんでした


父の電話で アルツハイマーと聞いていたのですが
こんなに 人が変わってるなんて ・・・・

単語に近い会話 しかも 表情がこわばって 不機嫌にさえ見える

聞いたことを オウム返しのように答えるのみ

無気力 意味の無い動作

母が 壊れていく・・・・

・・・・どうしたらいい?


2005/02/09

アルツハイマー

まいった

普段は おふざけすぎるくらいの私だが

まじ やばい・・・・


きっかけは 実家の父からの電話


まえから 体が弱く ぽけぽけの母だとは 思っていたが

どうやら それは 現実のものとなる


発病から 余命4~10年
くずれていく 人格・・・・・・

さいわい 嫁にいかない姉が 一緒に暮らしてはいるが
姉や 父ばかりに 苦労させるわけにもいかない

近くに住むのが幸いと なるだけ 見にいってやろうと思う

先を考えれば こころちぎれんばかりだが 今は どう
転がるかなんて 考えすぎてもダメだ


不幸は ある日突然 目の前に立ちはだかる・・・・

・・・・・いつも そうだ 


とにかく 前を見て歩かねば