フォト
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

私がBを嫌いなわけ

2009/03/12

旦那と ケンカ

あいかわらず B(婆の略)にふりまわされています

私たち・・・・・(T_T)ダーッ(涙の音)

・・

実は 田舎に住むkazeの家は

田舎の風習に常に さらされているわけですが

その中に 祭りというのがありまして

それは 神様の祭りなのですが

その祭りというのは 近くの 神様のお世話係みたいなもので

お世話とは 1日15日に お宮を掃除して 神葉をお取替え

したり 年に2回 お祭りと称して

その お宮をお祭りする 組内で 席を設けて

ご馳走をだして お酒を振舞ったり

お宮は 旗とか 飾りとか 竹とか 立てて

お参りして その際 次の順番を くじで決めるという

半年ごとの 交代行事なのです

(組内が 十数軒あるので お世話係が

回ってくるのは 10年に 1回くらいなのですが・・・)

そのお世話係は めったに回ってこないのですが

かせい方といって 3.4軒で 一組になっているので

組内が お世話係になると 祭りのときは

旗揚げとか ご馳走作りを 手伝いに行かなければ

なりません・・

普通は 一軒に 一人が参加するだけですが

組内がお世話係のときは 台所係をしなければ

ならないので 普通は 旦那さんと 奥さんという

組み合わせで 参加するわけです

kazeの組内は Aさんと Bさんと Cさんとkazeの

4軒体制です でも

今回 くじに当たったのは Dさんだったし

祭りの日が 旦那が 休みだったので

旦那に 行かせるつもりだったのですが

旦那が 行きたがりません なにかと

私に 行かせようと するんです 困った奴だ

祭りの日は 前日になって いきなり

「明日 します」という 電話が あるわけでして

正直 休みの予定が たてられず困ることが 多いんですが

今回は 祭りの日の16日が 月曜日で

その前の 日曜日が私が休みなので

もし 日曜日に 祭りが繰り上げて あるのならば 

私が行くことにして

当日の 16日 月曜日にあるのならば 旦那が休みなので

旦那に行ってもらうという

そういうシフトにしていたつもりが

どうも 16日当日に ありそうなので

旦那が 

「おまえ 休んで 行け!」と言い出しているんです

(おいおい あんたのご近所のとこの 風習だろうが?

なんで 地元のあんたが いきたがらない?

よそ者の(嫁)の私のほうが よほど 行きにくいんだよ

爺さん ばあさんたちばっかりだし)

旦那に甘いBが 結局

「私が 行こう」と言い出して 一件落着か?と思いきや

「Dさんは 組内だから 手伝いがいるから

あんたもこいや!」と いいだしたんです

ちょいまてっ!

Dさんが 組内だとは 初耳だぞ

いままで 手伝いに行ったことないやろうが!

Bの話だと 最近 祭りをやめる人が多くなって

Dさんとことも 組むことになったとか?

・・・

・・

早く言えよ こらぁ~~(~_~メ)ざけんじゃねえ!!

こちとら お仕事してる身ぞ!

2・3日前に 休み変更することが どんなに大変か

わかってんのかよ!

旦那は

「ばあさんと お前と 2人でいけば~♪」とほざくし

「はぁああ? あんたと 私の間違いでしょ?」というと

「おれ 行きたくないもん!」というし

ほんとにもう 呆れた奴です

子供たちがご近所付き合いを めんどく思うのは

人付き合いが苦手な私の血筋か?と おもいきや

意外と 旦那の血筋かもしれないと

ふと 思い直したkazeでした

( ̄_ ̄|||)どよ~ん

2009/02/13

Bのダイエット

こんにゃくダイエットをはじめて すっかり体を

こわし気味になってしまったB(婆の略)

でも いつも

「な~んも 食わんのに ちっとも やせない」と

嘆いていた

ダイエットは 栄養を考えてやらなきゃならないのに

いきあたりばったりの 隣のばあちゃんから聞いた・・とか

あの人が こう 言ってたとかいう ダイエット法でやるもんだから

かえって ストレスはたまるは 体は あっち痛いとか 

こっち 痛いとか

まったく ぜんぜん うまく いっていないようだ

しかも 妹さんの(Bにとっては 娘の)

「だったら こんにゃくが 一番よ!」っていう

言葉を 信じて こちらには 耳を貸さないのだから

しょうがない

でも 正直 いくら ご飯を 減らしたり

こんにゃくばかり 食べてたりしてても

弱って 寝てばかりで 体を 動かさなかったり

口に できものが出来た!と こういうときは ハチミツを

塗るといい!とかいって ハチミツ食べてりゃ

効果が 少ないのは あたりまえだ

で やっと ダイエットの無意味さをわかったのか

こんにゃくに 飽きたのか

こんにゃく! こんにゃく!言わなくなったと思っていたら

しばらくして

「検査で 糖が出た 糖尿病になった!」と騒いでいた(笑)

うん それは わかるような気がする

本人は ちっとも 「どうしてだろう? あんまり 飯 食べないのに」

と 言っていたが

けっこう ご飯前に お菓子とか

黒砂糖とか 氷砂糖とか 食べてたし

ご近所の家に 遊びに言っては いろいろと

ご馳走になってるからに 違いないと思う(笑)

それで また 野菜ばっかり食べはじめて

うん! こっちの話には 耳をかたむけないからなぁ~

でも 結局 おなかがすいて バナナとか みかんとか

食べてるから 同じことだよね(笑)

ダイエットは 毎食 ちゃんと食べて 腹八分に押さえ

間食を減らす または カロリーの少ないものにする

そして 体力を保ち 運動して カロリーの消費しやすい

体を作る 基本なのに

まあ 私も 人のこと 言えないけど・・・・<爆> 

2008/11/03

旦那とケンカ その後

昨日 旦那とけんかしたB(ばああの略)

朝から きげんが悪かった(笑)

そして 朝食を食べてくつろいでる私に

こう 話しかけてきた

「こないだ 大森さんのとこの ばあちゃんと会った

あの人は すごい しっかりしていた人だったけど

もう ぼけて あからんだった 可哀想だった

あん人が あんなに ぼけたのは あん人の家族が

悪いせいだ!」

わたしの 反応をうかがうように

ぐちぐち 言い続けた

(-_-;)げんなり!!

また つまらぬ愚痴がはじまったと

新聞を読むふりして 聞き流した私

「ったく 年寄りの 話も聞かず 返事もせずにいると

年よりは 一人になって あんなにぼけるんだ

・・・

・・・

・・・

いや あんたの場合は あんたの身から出たさびですから(笑)

自業自得でしょ

だいたい 物事を悪く理解して騒ぎ立てるのが得意なB

そして それに比べて 自分が立派なことっ!て自慢するのが

大好き!

おかげで その自分のよさを引き立てるために悪者にされた

私が そのことを 吹き込まれた旦那にどんなに 心痛めたか

(>_<)ヒックヒック・・・

だから 相手にはしない

だって 馬鹿らしいんですもの(笑)

・・

そういえば こんなこともあった

うちは 田んぼを人に貸して その代わり お米を貰っているんだけど

もらう米が あんまりおいしくなくて 困っていたとき ちょうど

その人が 農業を辞めて ご近所の人が代わりに 田んぼを

借りてくれて もらう米がおいしくなったときのことだった

たまたま その ご近所の人と 小学校の 交通安全の旗持ちで

ご一緒したとき

「最近 お米がおいしくて 嬉しいです ありがとうございました」と

いうふうな お礼を言った後のことだった

しばらくして 旦那が怒って私にこういった

「お前は ご近所になんてこと言ったんだ」・・と

すると Bがすかさずに言った

「わたしゃ 恥ずかしかったよ あんた お米がもっと

ほしい・・というようなこと 言ったそうだね」

はぁ?

はぁあああ??(*〇o〇*)ゞ

どこを どう 言えばそんなことになるんだ?

私は ただ 「前の人と比べて お米がおいしくて 嬉しいです」

みたいなことしか言っていないのに

Bの脳みその中で 勘ぐり虫が脳内変換して

そういう風に言われたと 言って聞かないのだ

旦那もそれを 信じてるし もう 泣きたくなった

どう脳みそを変換したら そういう風にとれるのだろう?

と 不思議でならないのだが

Bは もともと ご近所のおばあさんに対しても

こういっていたので だいたいの 頭の構図はつかめた

それは ただ そのおばあさんが もう年寄りで

運動のために 押し車使って 散歩してるだけなのだが

お話好きで 畑でBが仕事してると ついつい足を止めて

話しかけるだけなのに

「あん人は 私が作る野菜をほしがっている ずうずうしい人だ

野菜をあげてもお返しはしてくれないし 本当はあげたくないけど

しょうがなく わけてあげているのさ」

と よく言っているからだ

そんな風に 人を悪者扱いにして

自分では それを あたりまえ 私は正しくて 良い人と

思い込んでいるB 死んだ

じいちゃんにも こんな感じだったので うんざりきて

パチンコに逃げてしまったのかもしれない

などと 最近は 思う私

Bの勘ぐり癖で いちどは離婚寸前まで 追い詰められた

こともあったけど そのことがきっかけで

旦那も Bの虚言癖に 気がつき始めた

あれから 旦那も少しは 変わった

Bが ひとつだけ 間違えたのは 私が

本当におとなしい人間ではなかったこと 

反抗はしないけど 冷静に真実を見せ

すこしずつ 旦那の気持ちを変えていったこと

・・

だけど 油断は禁物

だって 親子だもんね

なんぼいっても 旦那にとって親だから

一歩 ひいて 見とかないと(笑)

2008/09/17

ほっといて!

朝から 旦那が夜勤から帰ってくると

待ちかねたように B(婆の略)が ほざいた

「マリ(仮名)が 昨日から 様子がおかしい

晩御飯も食べなかったみたいだし 朝も食欲がないみたいだし

昨日 マリの部屋のテレビが 映りが悪かったから

機嫌が悪かったようだ あの子は 他に楽しみがない

誰とも おしゃべりもしないし 誰も 相手にしないし

かわいそうだ かわいそうだ」

(-_-;)げんなり!!

マリは 長女で 病気で 知的障害になっている娘だ

しかし 真実は そうではない

実は 昨日は マリが欲しがったものを ダメだといったから

マリが ちょっと すねただけで ただ それだけだったのだ

マリは 知的障害ではあるが ものわかりのいい素直な子だから

必要以上に甘やかしはしない

いや だからこそ なおさら 我慢するときは 我慢させるというのが

私の方針だ

だから 夕飯だって すねて 一緒には食べなかったが

あとで こっそり 食べてたのを知ってるし

朝からは ちゃんと 仲直りもしたし 

朝ごはんも ちゃんと食べて(おなかがすこし痛いといって残したようだが)

いつもどおりだったのだが

何を 勘ぐったのか すぐ 勝手に自分で決め付けて

私や 他の子供たちが マリをさも 相手にしていないような

妄想をふくらませ

旦那に言いつけたようなのである

旦那は 疲れて帰ってきたことと

マリが 特別にマリの様子が変なわけでもないので

相手にしなかったが

これが 一昔前ならば 大変なことになる

たちまち 旦那の機嫌が悪くなり 夫婦仲の危機にもなりかねない

いろんなことがあって いろんなことを乗り越えて

今は Bの言うことが 正しいとは限らないと わかってくれてきたから

大事にはならないが ちっとも懲りないこの人・・・

なんとかしてほしいなぁ~

うん だからね 子供たちにも 嫌われるんだよ

もちろん あたしも拒否るけどね

Cocolog_oekaki_2008_09_17_20_47

2008/05/02

娘の部屋を作ったら・・・

簡易で作っていた息子の部屋を 本格的に片付けて

娘の部屋を作ってやったら それをみたB(ババアの略)が

こう言い放った

「息子(孫)がかわいそうだ! これじゃあ まるで

帰ってくるなと あっちに追い払ったようだ!」

・・・・

・・・・

・・・・(-_-;)げんなり!!

あのう これは あらかじめ 息子と相談して決めたことなんですけど

というか そういうことで あいつはグレません!

というか そういう被害妄想な考え方を持つようには育ててません!

だいたい あいつが 向こうにで暮らしたいと言い始めたこと

田舎は嫌だと むこうで 就職も決めるつもりでいること・・

だいたい あんたが そうあるから 息子は 田舎嫌いになったという事実も

Bは 知らない(気づきもしない)

「私が 子どもたちに常に 精一杯のことをしてることは

あいつが 一番良く知ってます  もし 帰ってきたら

車庫の2階を 息子の部屋にすることも ちゃんと相談してますし・・」

いちおう言い聞かせたけど どこまで わかっているやら

また 旦那や ご近所に触れ回ってなきゃいいけど・・・・

(;´д`)トホホ

2008/02/04

水溜り

B(ババアの略)に コロちゃんが掘った穴?と

いいがかりをつけらられた庭の穴が だんだん広がりをみせてきた

雨が降るたび 水が溜まり ドロがゆるむのか 泥水とともに

流れ出てひろがったのか?

本格的に 大穴になり 雨が降ると 次の日天気でも 水溜りのまんまという

状態になってきたので すこし 気になってきた

Bは 旦那に 一回 埋めて欲しいと頼んだようだが 旦那が相手にせず

わたしも こういうことぐらい 旦那にさせてもいいかな?と

放置してきたが さすがに 車庫入れするとき タイヤが がくんとなるし

サスペンションも不安になってきたので 

「しょうがないなぁ~ 砂でも買ってこようかな?」と 考えはじめた

穴をみてみると 結構 広いし 深い(笑)

こりゃ 3袋じゃ 足りないかな?と思い始めたころ

ふと 目に付いたのが 畑の隅にある 野焼きの泥の山

ここは 畑の草の捨て場で 時折 Bが 野焼きしてるところでもある

(今は 法律違反なので してないが←ここ重要(笑))

しかも 昔からの捨て場なので 下のほうは ほどよく泥と化してる

「いいや この泥つかって 埋めて 後は 上に砂を敷こう

そうすりゃ 節約にもなるし」

スコップで 掘っては 埋め始めると 子どもたちが いっせいに

手伝ってくれはじめた

「おかあさん いいよ ぼくらがするから」

「おかあさんなら 手伝ってあげる♪」

子どもたちは 私が 言わなくても 大変なことは手伝ってくれる

ありがたいもんだ(笑)

・・

まだ 水がたまってる状態の水溜りに泥をいれていく

もう ぐっちゃぐっちゃ(笑)

シャーベット状である

「本来なら 乾いた上体でいれたほうが いいんだけどね」

まったく 息子のいうとおりである

しかし 思いついたときが やりどきの私

「いい いい (笑) そのうち 乾いて 落ち着くよ」

まあ ひろい庭のこと 落とし穴的になっちゃったけど

別に 足を踏み入れることは ないだろう

・・・

・・

・・

って おもってたら

Bから 苦情が出た

「あそこの土は いい肥料になるとおもってたのに

あっちの土入れりゃよかったのに」

・・

肥料って 使わないから 山のように盛り上がってきてるんでしょう?

すこしぐらい もらっても いいでしょうに・・ったく

文句しか言えないのか おまえは

穴ふさぎたかったのは あんたでしょ?

・・・

おもわず げんなりである

2008/02/03

一番 嫌いな原因

現在過去未来(歌じゃないって!・・1人突っ込み

わたしがB(ババアの略)を嫌いになる原因は たくさんあるけれど

決定的に嫌いになったのは 娘の病気のことである

娘は ちいさいときに 病気で 脳をやられた

半身不随である

原因は不明

ただ よくまれに この年代にある 突発性な病気かもしれませんと

発達小児科の先生が 言った

半身不随といっても 幼い年齢と 毎日のリハビリ

娘の 本来持つ器用さと 前向きな頑張りの性格で

今では 歩きもするし 日常生活にほとんど支障はない

「お母さん これは 奇跡ですよ 本来なら寝たきりでもおかしくない

状態なのに やっぱり 年齢が若かく 脳が発展途上だったことが

幸いしてますね いいほうの脳が やられた脳の機能をカバーしてます」

と 先生を 感動せしめたほどの 治り具合であるから

病気になったといえど 神様に感謝せねばならないかもしれない

・・

死んでしまった部分の脳は 元に戻すのは不可能である

ならば すこしでも 軌道修正して 本来に近い形になるよう

前向きに努力する

それでも だめなら 他でカバーする カバーしてやる

それが 親の務めだろう 

壊れた原因 壊れた現実をあとで どんなに後悔しても

それは 元には けして戻らないんだから・・・・

なのに・・・・

なぜ それを今になって

言うんだろう?

Bは そういう人である

「あのとき あの病院に連れて行ったから 悪かった」

いまだに 繰り返す一言

「ばあちゃんが 変わってやりたい」・・・・・・

しかも かならず 旦那の前である

いえいえ 変われるわけないでしょう? 変われないもん言ってどうする?

単なる同情ですか?

それとも 嫌がらせですか?

実際 発病した直後 あの病院(小児科)に連れて行ったのは私である

旦那は 夜勤で いなかった

「てんかんだと思います 様子をみましょう」

しかし 朝になっても 病状は変わらなかった

そこで 大病院に転院

そこで CTスキャンを撮ってもらって 調べたが この大病院でも

病名はわからなかった

若い研修医と 脳外科医師 若い小児科医はこぞって言った

「もしかしたら 脳に CTではわからない なにかが(癌)などがある

恐れがあるので MRIを撮りましよう 予約入れますので しばらく

おまちください」

実はこの頃は まだ 大病院でも MRIはなく 緊急でなければ

何日も 予約待ちしなければならないのだ 

じっさい娘の様子は 意識はないが 見た目は 危険な様子はない

そのままの状態で

ただ 時折 胃の中に チューブをいれられ 液体栄養を与えられたのと

点滴だけで なかば 放置された状態が4日続いた

そんな折 看護婦さんが 気づいてくれたのだ

「あら? この子 おかしい 足が麻痺してるみたい」

この一言で 緊急に 染色によるCTスキャンが行われた

片方の脳が やられ ぱんぱんに腫れ もう片方の脳を押してることが

判明

速攻で 脳の腫れを押さえる薬が処方された

つまり 大病院でも すぐには病名がわからず 放置されていたのである

この事実を 何度 Bに伝えても そのときは

「そうなの?」と納得するが

何ヶ月か経つと また 

「あのとき あの病院に連れて行ったから 悪かった

あの病院で 朝まで なにもせず放置された はやく大病院に連れて行けば

よかったのに」

が はじまる 旦那に愚痴るのだ

まるで 連れて行った私が悪かったように・・・

そして

「ばあちゃんが 変わってやりたい」を 繰り返すのだ

しかも そこには本人も もちろんいます 

(ぼけてるわけじゃありません 昔からです)

あの~~~

あのとき 看護婦さんが気が付いてくれたから 治療ができたけど

そのままだったら 死んでたかもしれません

しかも 大病院の方が 日数的にも 放置されたんですけどね

あなたの好きな大病院でね!

というか 本人 目の前で 障害のこと言われたら

傷つくんですけど? わかってるのかな?

なんど 同じこと言わせるのかな?

そんなに 私が悪いと決め付けたいのかな?

自分は 孫を気遣うやさしい祖母を演じたいかもしれないけど

その 自己中な考えかた ほんと やめて欲しい

・・・

・・・

・・・

ちなみに 他の病院で このことを話すと どこの医師も

こんな小さな子どもが そういう病気を発症するなんて考えれませんと

驚かれました

医師すらわからない病気を 親が 事前に気をつけるなんてできるわけ

ないっしょ?

そういうとこも 親の責任といいきるBは 私には天敵としか思えないのです

2008/01/17

好き嫌い

料理の話をしたから こんどは 好き嫌いの話をしよう

旦那は 異常に歯が弱い

だから 基本的に柔らかいものが好きだ

旦那の両親も 壮年というよりは老年のお年頃だったから

同然 柔らかいものが主流になる

しかも 味付けは濃い

薄味などは基本的に好まないようだ

しかも旦那は 好き嫌いが激しい

魚は 塩さばとか 塩秋刀魚は食べるけど煮付けはたべない

刺身など おいしさがわからないという

とうぜん寿司など食わない

肉も 硬いのや 少しでも 匂いがあるやつはダメ

変わった料理など箸さえつけない徹底ぶりだ

・・

だから 食べにいっても ほとんど残す

ラーメン チャンポンなど麺類以外は 残すほうが多いだろう

B(ババアの略)に言わせれば

「昔は なんでも食べるいい子だった 東京に行ってから

食がかわった」そうだが

東京時代 美味しいものを食べすぎて味覚が変わったのか定かではいないが

ときには 気分次第で まるっきり 食べずに帰ってくるほどだから

やはり わがままなのだろう

(本人に指摘しても 認めないけどね)

なぜ こんな話をしたかというと

子どもたちが小さい頃の話である

わたしが 夕飯の用意をしてると かならず Bが 子どもたちに

お菓子を食べさせていた

「すいません 食事前なので よければ がまんさせてください」と頼むと

Bは かならず こういった

「なんか 食べさせてないと うるさいからしょうがないでしょ!」

そして旦那が言うのだ

「食べないのは お菓子のせいじゃなく おまえの料理が下手なせいだ」と

・・・

・・・

「いや 子どもたちの味覚は決まってない

親の味は いまから覚えていくものであって いろんな味をおぼえて

いくのであって おいしい おいしくないという

問題じゃないはず」と言い返しても

「おまえの料理は 手抜きで 気持ちがこもってないから まずい」と

言い切ってしまう

そんな人だった

・・

そして 現在

Bの作った料理は こどもたちは 一切食べない

虫の一件もあったことは たしかだけど それ以前から

その傾向にあった

Bは 昔の料理だから 子どもたちの口に合わないなどというけれど

そういう 味覚が育てなかったのは あんたたちのせいであり

それに戦えなかったわたしのせいでもあるのかもしれない

・・でも まあ 私の料理は おいしいと食べてくれるからいいか(笑)

続く

2008/01/16

強制

子どもの話しつながりで・・・(笑)

それは 3人目を妊娠してる頃だった

B(ババアの略)が突然わたしに言い出した

「2件先の結城さんのところは 3人目を産んだときについでに

子どもができないよう手術してもらったってさ

おなじ入院中だから 安かったってさ」

・・・

・・

わたしは わざと 右から左に受け流して

さっとその場を離れた

・・

Bがなにを言わんとしてるか わかったからだ

・・

しばらくして 夜寝るとき旦那が言った

「結城さんは もう子どもができないよう お産のときに一緒に手術したんだってさ

一緒だから 安かったってさ おまえも してもらったら?」

・・

・・

まちがいなく これはBの吹込みである

なんで そんなことまで 立ち入られなきゃならないのか?

そりゃ 中絶なんてしたかない

できた子どもはみんな 産みたい

大事な大事な我が子である

でも 他にも避妊の方法はいくらでもあるはず

女にとって 子どもができないということが どんな気持ちになるのか

男には わからないのか?同じ女のBは わからないのか?

そりゃ3人も産めば 充分だろうし 他に子を産む予定がなければ

そうするのが一番手っ取り早いかもしれないけど

もう産めないという状況は 心理的にもいやだった

「そしたら 毎日 生でできるじゃん!」

・・・

・・・

旦那は自分さえよければいいんだな・・と 思った

・・・

・・

「人に 強制されることじゃない おかあさんから そうしろといわれたんでしょ?」

・・結局 2人の話はかみ合わなかった

子どもは2人いればいいという旦那と B

子どもは最低3人は欲しいと(本当は4人欲しかった) 思った私

そう 3人目ができたことがわかったときも

私が「絶対 産むからね」と言って 旦那は 「・・・産んでいい」と

わたしが 押し切った形でもあったので

・・・

結局 泣く泣く 手術を受けるハメになってしまった

最終的には 私が覚悟を決めたことなので 後悔はしてないけど

こんなことまで 踏み込んでくる Bが許せなかった

続く

2008/01/15

自家製野菜4

近所の葬式事件以来

どんなに忙しくても 残業があっても 基本的に家の仕事は

わたしがしていた もちろん 夕飯もである

しかし 旦那が 仕事の都合で 夕方から仕事に行くときは

(わたしの仕事の最中に 家をでるので 支度がまったく間に合わない)

B(ババアの略)が 夕飯を作った

そんなときは Bは 自分で自分が作った野菜の料理をした

・・

・・

旦那は喜んだ

「ひさしぶりに 美味しいものを 腹いっぱい喰った」聞こえよがしにいった

Bは言った

「昔の料理が 一番 おいしいから」

・・・

・・・

煮しめと 具たくさんの汁物 野菜づくし・・・・・

正直 味噌汁に 具たくさんで 野菜が入ってると

ちいさな虫らしきものも ぷっかぷっかと浮いていた

・・

・・

Bは もう 年齢的に若くない

というか Bも晩婚で 旦那が生まれたのも 遅いし

旦那も 晩婚なので 当然 母であるBは 普通の姑より

年齢が上なのだ

とうぜん 視力もよくない

・・・見えないのだ

・・・

旦那は 信じてるのか 見ぬは清なのか 美味しく食べてる

・・・

そして こういう

「料理は 味付け一つで 替わる やはり 母さんのはおいしい

おまえのは 手抜きばかりだ

料理とは一生懸命愛情を込めて作れば おいしい料理になるはずだ」と・・

・・

こういうとき 御飯を食べるのも苦痛だった

・・

でも 作ってもらったのだから 文句をいえるはずもなかった

いちど 野菜汁に カメムシを発見したときは

さすがに すかさず おごちそうさま宣言して こっそり捨てたが

あれは いまだにトラウマである

・・・

ちなみに 子どもたちの 中学生くらいのときのトラウマ

・・

・・

あれは 一番上の子が 一夜だけ入院したときの話し

帰ってきた子どもたちが こっそり私に告げた

「きゃべつの千切りの中に なめくじの千切りが入ってた」

・・・

・・・

・・・

がんばれ 子どもたち!

まけるな 子どもたち

そうやって 子どもたちも しだいに Bの作るものを信用しなくなり

食べなくなってきた そうして

テーブルの上にある あやしげなやつは こっそり私に

誰が作ったか ・・・聞きに来るようになった

それを Bは 何も知らずに ほざくのだ

「わたしが作ったやつは 誰も食べない 今の子どもたちは贅沢だ」・・・ってね(笑)

続く