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人でなしの境界線

2008/09/27

それから・・・

去年 利用した葬祭場から 1周期のお供えに・・・と

花が届いた

012

忘れかけた出来事がよみがえる

ああそうだ あれから もう1年たつんだね

早いなぁ~

こんなきれいな花 届けられて おばちゃんも

嬉しいかもしれないね・・・・・

本家の嫁ということだけで 義父の姉の面倒を

みていた私(といっても 必要最低限だけで

あとからは 老人ホームに入っていたので 手続き上の書類とか

ぐらいだが・・)

兄弟からさえも嫌われて シングルマザーで産んだ子供も

養子に行ってから先

行き来もない(本家は 連絡先さえも わからない)

なにかと トラブルメーカーだった おばちゃん

借金問題や ご近所付き合いトラブルもかさなって

本家であるうちの旦那も嫌っていて 話題に出すことさえ

はばかられたけど うちの敷地内に住んでいたから

当然のごとく なにかあれば 面倒をみなきゃならなかった

幸い 老人ホームに入ってから 1回ぐらいしかトラブルはなく

あとは ものすごく丈夫な体で 病気ひとつしなかったから

10年くらいは おだやかな日々を暮らせたけど

そのおかげで 旦那も 葬式ぐらいは面倒みにゃならんと

考え直してくれて ほっとしたけれど

いざ亡くなると 実は おばちゃんは生活保護からはずされていて

葬式代も出ない その施設に支払う代金と それに伴う別口の支払いも

あるとのことで 大騒ぎしたっけ・・・・

おばちゃんに何かあったときのために・・と施設側が

ほそぼそと おばちゃんのわずかな年金の中から 貯めてくれていた

貯金も遺産として 差し押さえられ 私たちは慌てておばちゃんの

息子の行方を追った・・・・ 

そして わかった事実

息子さんは実は はやくに死んでて でも 結婚してて

もしかしたら 子供さんがいたかも?

そうなると 遺産(貯金)は そのお孫さんにいくことになる

今度は奥さんの行方を調べてみると あっちこっち 

引越してるからそのたびに そこの市役所の

戸籍係りに書類を送って 奥さんの足取りを追ったっけ・・・

いろいろあったけど 結局 頑張った甲斐あって 年内解決!

葬祭場の支払いもなんとかすませて 本当に良かった

わぁ~ 思い出すなぁ~

しかし よく 早期解決出来たと思う

下手にこじれりゃ 半年 一年かかっても おかしくないケースだもんなぁ~

(くわしくは カテゴリ 遺産の行方をどぞ!(笑)

感謝 感謝

あれから 初盆もすませたし 今度は 一周忌の法要予約もした

いろんなことを思い出すと ちくりちくりと ムネの奥が痛むこともあるけれど

人間として おばちゃんにしてきた態度が

やさしくなかっただろうなぁ~・・という自責の念も あるけれど

それでも 私には 私の生活があって 家庭があって

その家庭を犠牲にするほどの縁ではなかったのだから

それで いいのだと 自分に言い聞かせながら・・・・

2007/10/21

ひとでなしの境界線11

おばちゃんの面倒をみているとはいうが 実は

おばちゃんと会ったのは おばちゃんが 前の施設を出ると

騒ぎをおこし 施設の人に呼ばれて話し合ったときが最後だった

それ以来 施設を移るときも 新しい施設に入るときも 

施設の人と話をしただけで おばちゃんの顔を見に部屋に行くことはなかった

できれば おばちゃんと 関わりたくなかった

本家の嫁でなければぜったい 関わる存在ではなかった

今 思えば かわいそうな人である

自分の兄弟すらも 訪れることはなかったのである

それほど 嫌われていた

さぞかし淋しかっただろう

この老健施設も やく1年ほどいたことになる

施設の人の話によると 心臓が弱ってたものの

あいかわらず パワフルで 車椅子で 好きなことをしていたという

そのおばちゃんの体調が急変したのは 9月の終わりだった

施設の人には いちおう なにかあったら 知らせてもいいと

告げていた

前の施設みたいに 死んでから・・なんて 言いたくなかったから

(この言葉は 売り言葉に買い言葉の結果だったのだが)

老健施設からの知らせに いちおう 他の親戚にも連絡をとり

もう最後みたいだから告げた

「え? わたしも 行かなきゃだめなの?」なんて言う人もいたが

そこは そこで まかせた

職場に電話だったので 急遽仕事を切り上げ

また ヘタすれば2日ほど休むことを上司につげ

2日休んでも 大丈夫のように段取りをつけて 職場を後にした

そして 家に戻り B(ババアの略)をひろい 老健施設に向かった

ついてすぐに 案内されるかと思ったらまずは 相談室に呼ばれて

院長から 今の病状を伝えられた

内容は 今朝から心拍数が極端にへり 意識が遠のいたこと

昼間には 同じ状態をなんども繰り返し一時は 痙攣を起こしたこと

それで こちらに連絡したとのこと

今は すこし落ち着き 心拍数もあがって 意識もあるということ

それから 部屋に案内されて おばちゃんとひさしぶりの対面をした

おばちゃんは 横になり 目をかたくつぶっていた

昔とは違って かなりやせ果てていた

そばについていたヘルパーさんが 声かけするとわずかに

反応はするが その弱り具合は やはり 死の一歩手前を感じさせた

Bは おばちゃんの手を握り 声をかけた

おばちゃんの反応は薄かった

やがて この部屋に案内してくれた ヘルパーさんが 院長から呼ばれて

席をはずした

やがて 戻ってくると ヘルパーさんが 言った

「電話では 今夜が山では?と申しましたが 病状も落ち着いてきましたので

今日は 帰られて大丈夫だと思います

状況によっては この状態で 長引くこともあるとのことなので」

わたしたちは 納得して いったん帰ることにした

最後に このヘルパーさんが 大きな声で おばちゃんに声をかけた

体を揺さぶって こういった

「ほら 早苗さん お見舞いにこられたよ! ほら 待ってたでしょ?

よかったね」

すると こともあろうか あんなに弱り果てて かたく目をつぶっていた

おばちゃんが わずかに目を開けて すごく嬉しそうに にこって

笑ったのである

・・

・・

・・

そのこぼれんばかりの笑顔に 驚いた

・・

・・

おばちゃんは 本当に 待ってたんだなって痛感した

わずかに開いた目でとらえたものは ひとでなしな私たちでは

なく 今は亡き 兄弟の姿だったのかもしれない

死んだ息子さんだったのかもしれないけれど

その笑顔は いままでみたこともない 本当にうれしそうな笑顔だった

・・

・・

・・

・・・・・・そして その日の夜遅く 再び電話が鳴った

「すぐにきてください 間に合わないかもしれません」

・・

・・

・・

そうして おばちゃんは この世を去っていった

肩の荷が降りたと思った

・・

・・

しかし これが あたらしい騒動の幕開けだったのである

・・

以上が おばちゃんの回想録です

新展開は 只今 リアルタイムで進行中

もう まじ 大変です(T_T)ダーッ(涙の音)

2007/10/20

ひとでなしの境界線10

ひとは それなりに 一生懸命生きている

たいていの人は 人から いやな人だと思われぬようそれなりに

自分なりの倫理観で生きていると思う

でも ともすれば それからはずれている自分に気が付く

このやりきれなさと 自尊心の傷つきと 痛みに

なんとも やるせなさを感じるときもある

落ち込んでいた私を 娘が気が付いて いろいろ話を聞いてくれた

そして 娘の

「母さんは 悪くないよ

結局 おばちゃんが そういう人だったんだからね

他の親戚は 関わろうともしないんでしょ?

その人たちに比べれば まだまだ いいよ」

の一言で 救われた気がした

落ち込むのも早いが 立ち直るのも早いのがとりえのkazeである

というか 落ち込んでばかりもいられない

とにかく 前向きに進む

今は 苦しくても とにかく 一歩一歩 進む

いいや もう どう思われても!開き直るしかない!

ということで もう 振り切ることにした

今までも そうやって進んできたんだから!

気持ちを取り直して 毎日を送ってるkazeのところに

今度は あたらしくおばちゃんが入所したところの施設 老健から

入所手続きの電話が鳴る

仕方ないので いちおう出向くことにする

手続きは 前の施設の動揺 身元の確認だった

「おばちゃんには 実は 息子さんがいらっしゃいます

養子に行かれて 養子先で 結婚されたと聞きます

息子さんの方は 亡くなられたということを聞いていますが

結婚されていたのなら お子さんがいらっしゃるかもしれません

そうだとしたら むこうのほうが 直系になりますので

そちらのほうが 本来 おばちゃんの面倒をみる義務があると

思いますから まず そちらを 調べてからにしてください」

と お願いしてみた

区役所に問い合わせてみますとのことだったので

すこし 期待したが まあ 世の中そんなに甘くない

結局は また うちに 施設からお願いが あった

しょうがないので 前回同様 

金銭的責任が発生する場合は 対処できないこと

必要最小限は 面倒をみるが たとえば 入院になった場合は

つきそいなど できないことを告げ

またもや 保証人になってしまった

・・・・う~~~ん 

これが あとで 大変なことになるとも知らずに

なにも考えない偽善な善意は とんでもない落とし穴をつくることに

なった

2007/10/16

ひとでなしの境界線9

「私は いまでも あのときの一言を おぼえていますよ」

施設長は 席を立ち 窓際で 外をみながら 言った

わたしは 何を言われたか わからなった

不思議そうな目で 施設長をみあげると

施設長は 私に向かって

「あのとき あなたは こういわれた

死んでから 連絡ください・・とね 今でも おぼえています」

・・・

・・・

・・・

ひとでなしの言葉である

体が熱くなった

どうしようもなく はずかしい気持ちと その言葉が含む

鬼畜さに からだが 震えそうになった

・・

そんなこと 言ったのだろうか?

わたしが そんなひどい言葉を 浴びせたのだろうか?

10年の月日は 自分が言い放ったひとでなしな言葉を 

記憶の奥底に隠していた

・・

「幸い 早苗さんは おおきな病気ひとつされなかったし

そのことで およびたてすることもなかったのですが」

・・

・・

わたしは 早足で 施設を出た

そのことに対して 言い返すこともできなかった

どんな理由があっても

その言葉を あの施設長さんに言ったのは まぎれもない

事実である

自分のなかの ひとでなしに 気持ちは ゆらぎ

落ち込んでいった

自分が 自分で いやになった

・・・

施設の人は 施設に入所してからのおばちゃんしか

知らないわけである

既に 病院に入院していて 体もすっかり清潔になっていたし

性格は とても パワフルで トラブルメーカーでも

今までの姿をみていない施設の人は むしろ おばちゃんのほうに

同情的だったとしても おかしくはない

おばちゃんの生活ぶりは 知り合いから 聞いていた

洗濯物たたみとか かえって 施設の人のお手伝いとかしていたとか

行事があると積極的に参加していたとか

いい面も よく聞いた

おばちゃんは 施設に入って 幸せだったんだろう

いままで 身内にも忌み嫌われ(その昔 兄弟が 生きていた頃

妹の葬式に みっともないという理由で 兄弟から 参列を断られた人である)

生活保護で 惨めな生活をし

おばちゃんにとっては 辛酸をなめた日々のなか

おばちゃんは 生来の生格の強さに輪を掛けて

ずうずうしさとか 傲慢さとか 悪い要素を身にまとっていたのかも

しれない・・・自分を守るために・・・

それが

施設に入って ほどよい生活をしはじめ 自分を大切に世話してくれる

人たちに出会い 最初は お金にこだわったが

しだいに 気持ちがときほぐれていったのかもしれない

年齢と共に おだやかになったのかもしれない

その事実 施設の人は(こういう施設に働く人は)とても

いい人だった

その施設側としたら

やはり わたしは ひとでなし そのものである

・・

死んでから連絡しろと口走る とんでもないやつにしか

すぎない・・・・

わたしは 頭を 抱えた

・・

続く

 

2007/10/15

ひとでなしの境界線8

施設から 突然の呼び出しを受けた私

次の日の仕事を 昼で切り上げ 施設に出向くことにした

今までいたのは 老人ホーム つまり ディサービスとか 介護とか

お世話はするが 医者が常駐していない施設である

今度 行くことになるのは 老健施設で 医者が常駐し 介護の他に

医療処置もできる施設である

おばちゃんは 96を越え さすがに あちこち 弱ってきたらしい

もともと 生活保護の人である

認知もしてもらえずに生んだ息子は 養子に行き そして 結婚はしたが

死んだと聞いている

おばちゃんは その 息子のことも どこにいるかも 私たちに

話してくれることは無かったので まったく 先をたどるべくもなく

ただ 旦那のお父さんが おばちゃんの弟

ただ 親戚というだけで繋がっている私たちに 施設は 関係を求めた

もとより ここに入所するのも 関わってしまったので

半分はしょうがなく 施設に出向いた私

提示された施設を移るべき書類に 目を通した

「同じ施設系列ですが いちおう ここを退所する形で

老健のほうに移ってもらうことになります」

それを言ったのは あの時

そう おばちゃんが 市営住宅に出ると騒いだときに

施設側の職員として話し合いに参加した 施設長である

書類は たくさん 名前と住所を記入する欄があった

この件についての保証人の署名を書く欄であった

おばちゃんと血のつながりがある 義父はもう亡い

兄弟も いない

旦那は これを言い出すと たぶん 忘れた怒りを思い出して

「なんで おれが あのおばちゃんの責任をとらなきゃならんのだ?」と

激昂するのは 目に見えてる

他の親戚は かかわりたがらない

しょうがないので 私の名前を書き 印を押した

数々の説明を受け 次々に書類に目を通し

心の中で 不合理を感じながらも だまって 言うとおりにした

ただ おばちゃんの住所関係は 自宅の住所を書くのを拒否した

「本来 おばちゃんは うちの家族ではない

ましては わたしは おばちゃんと 血のつながりもない

金銭的なことが おきても それは 責任とれない

たとえば こういう書類作成や 病院に入院する際の手続きで

どうしても 必要なことは 保証人になるし 今日ここにきたみたいに

手続きしにはきますが

それは 書面でだけで 実際 なにか 問題ごとが発生することや

こちらが不利になる書類は 一切 署名できません」

こちらの言い分をわかってくれて

施設側は おばちゃんの住所を 老健施設の住所にしてくれることに

してくれた

また 支払いはすべて おばちゃんひとりということにして

こっちには かかわらない形ということにしてくれた

書類作成が終わって 一段落したとき

あの施設長が ためいきをつくように 言った

「私は いまでも あのときの一言を おぼえていますよ」

・・続く

2007/10/14

ひとでなしの境界線7

それから 10年の月日がたった

時折 施設から 行事の案内や 年賀状が届いた

しかし 出向くことは無かった

時折 事情を知らない職員さんから おばちゃんが 家に帰りたい 

里帰りしたいという 話が 家の電話にかかってきていたらしいが

B(ばばあの略) ことごとく断ったので

おばちゃんは 2度と家に足をふみいれることはなかった

自業自得である

元来 体が健康すぎるくらいの人で

夏は 異常なくらいの暑さ 冬も寒かっただろう小さな小屋で

食べる物も 大丈夫か?と思うような汚宅生活をしていた

おばちゃん

清潔で 冷暖房 上げ膳据え膳で お世話人付の施設で

パワフルに過ごしていたらしい

その 過ごしぶりは 時折 Bの友達や 同じ施設に

ディサービスに通っていた近所の人から垣間見ることができた

また ちょうど 知り合いも働いていたので 時折施設には内緒で

様子を 伺っていた

この施設は 本当にいい施設だった

紙おむつをつかわずに なるべく自立できる環境を作っていた

よく行事もあって 入所者には 快適な施設だったらしい

(そのぶんヘルパーは 仕事が大変で ここに勤めていた知り合いの

人は 割に合わないと しばらくすると 辞めていったが・・・)

そのおかげもあって おばちゃんは 大きな病気ひとつせず

10年の月日を 過ごしていったらしい

止まってしまった歯車

その間 おばちゃんの兄弟も次々と亡くなり

義父も3年前に 他界はしたが おばちゃんに知らせることもなく

過ごしていた

わたしの家も 10年も おばちゃんと会わないと

不快な思いをさせられた怒りも すこしは薄らぎはじめていた

・・・

あんなに 毛嫌いしていた 旦那も

「葬式くらいは うちでしてやってもいい」と 言い始めた

平穏な日々が おだやかな気持ちへと変わり始めていた

と・・思い始めた矢先 歯車は ゆっくりと動き始めた

施設からの突然の電話だった

「早苗さんは 高齢になり 当施設では 見ることができなくなったので

当施設の系列の 健老の施設の方に 移っていただくことになったので

その手続きを お願いしたい」

とのことだった

続く

ひとでなしの境界線6

その話し合いは おばちゃんの介護老人ホームの談話室で

わたしと B(ばばあの略)義父と

おばちゃんと 介護施設の施設長と施設の職員と6人で始められた

義父は 兄弟ともあって お姉さんであるおばちゃんを叱りつけ

Bも 説得を試みた

しかし おばちゃんは まったく 説得に応じなかった

かえって怒り狂って ここをでると騒ぎ始めた

私は 本家の嫁とはいえ おばちゃんとは 血の繋がりも無いのに

病院に連れて行ってあげたり 福祉課に何度も足を運んで

こんなちゃんとした施設をお世話したり 自分の時間を犠牲にして

ここまでしてやっても ありがたいと思うどころか

聞く耳もたないおばちゃんに 怒りを感じていた

おばちゃんの借金問題も 返済の段取りをつけたのは

実は わたしである

(旦那は嫌ってるから おばちゃんのために動こうとはしない

Bも 年だから 何をしていいかわからないから

こんな複雑な用件は 大抵わたしがすることになるのだ)

・・そうまでしてやって

苦労に苦労を重ねて ようやくここまでこぎつけたのに

それを 一撃の下に壊そうとしているおばちゃんが許せなかった

義父が言った

「もうおまえに帰るところは無い」

Bが言った 

「そんなに わがまま言うなら もう うちでは 一切面倒をみない」

私は もう やさしい言葉をかけても無駄だと思った

やさしい言葉をかければ かえって 調子に乗って

次々に わがままを押し付けてくる人だと 悟った

思いっきり冷たい言葉で 引き離すしかない

ゴネれば 施設を出ることができるかもしれないという考えをもたせては

だめなのだ

私は 言い放った

「もう おばちゃんのことは 知りません! 勝手にしてください!

二度と会いたくありません!」

話し合いは 粉砕した

おばちゃんが 怒り狂って 部屋をでたあと

Bが施設の人に言った

「あんな人 もう うちでは 面倒みきれません もう連絡もしないで下さい」

施設の人が聞いた

「それは どういうことですか?」

怒りをひきずっている私が それに答えた

「たとえ 病気になっても 知らないということです

もう・・・死ぬまで連絡はお断りします」

ひとでなしの一言である

でも そういわずには おれなかった

ここには書ききれないさまざまな おばちゃんをめぐるトラブルや

迷惑かけられた思い出が鮮やかに心によみがえった

・・・

・・・続く

2007/10/13

ひとでなしの境界線5

おばちゃんが できたばかりの老人ホームに入所してから数ヶ月

施設で催しがあって 家族(うちは親族なんだけどね)に招待があったときは

いちおう 顔は見せることにしていた

おばちゃんは 幸せそうにみえた

ムネをなでおろした 

せめてもの 償いである

旦那は おばちゃんを毛嫌いしてるから(借金事件以来よけいに・・)

あんまり かかわるな!と それを よくは思ってなかったが

わたしは これで 良かったと思っていた

それは 甘い考えで・・・

裏切られることも知らずに・・・

・・・

それは施設からの連絡だった

「おばちゃんが 施設を出て 市営住宅で生活されたいといわれています」

・・

・・

B(ばああの略)と顔を合わせた

開いた口がふさがらなかった

齢80をこえ 足腰弱り始めたおばちゃん 新しく小屋につけたばかりの

炊事場のガス台を どう使えばそうなるのか ガタガタにして

ガス会社のひとが 火事になると慌ててひきあげたこともある

コタツを燃やして ぼやさわぎ

近所の店の借金

・・

1人暮らしさせれば 元の木阿弥

いや それ以上 大変なことになるだろう

病院での帰りたいの一件があってから いやな予感がしたので

旦那を説得して おばちゃんが 今まで住んでいた

家の小屋は おばちゃんが 万が一にでも戻りたいと言い出さぬよう

解体して 駐車場にした 既に見るも悲惨な汚宅だったので 惜しくはなかった

家財道具は おばちゃんの兄弟姉妹に相談して 処分させてもらった

おばちゃんの兄弟は うちの苦労を知っていたので

そちらから 全部捨ててしまっていいと 言ってくれた そのいきおいで

解体前 家の中をBと一緒に片付けたが その ものすさまじさは 今も

トラウマである

今の施設の方がよっぽど幸せだろうに おばちゃんは

なにが気に入らないのか?

・・・・

・・・・・しばらくして

原因がわかった

お金が使えないからである

病院で 帰りたかったわけも そのときわかった

やはり お金が使えなかったからである

おばちゃんは 自分の家で 気ままに暮らし

お金も 使い放題使ってしまいたかったのである

わずかな年金に 生活保護のお金

それなりの生活をおくれば なんとかなるのに

おばちゃんは 身分不相応に散財し続けたいのだ

昔のように

人に迷惑掛けながら・・・・・・

たしかに

病院に入院中や 施設の中では 職員が年金などを預かり

必要なものの購入とかをしてくれるので 自分で買い物することは

あまりない

ごくたまには 職員の人に連れられて スーパーなどで買い物をするらしいが

おばちゃんは 自分で お金の管理をしたかったのである

お金を使いたい欲望に駆られて 施設をでるといいはじめたのだ

・・・

・・・

・・・

冗談ではない

普通の金銭感覚ならそれも 有かもしれない

でも おばちゃんは 自分さえよければいいひとである

まわりの聞く耳など持たない

施設を出る話とて 施設の人の説得など耳を貸さず ゴネまくったに

違いない

このことに すごく腹を立てたB

Bに煽り立てられた義父も 今度ばかりは おばちゃんを

怒って 「おれが 言う!」といきまいていた

・・

・・続く

2007/10/12

ひとでなしの境界線4

齢80を越えた おばちゃんの 足のすねの低温やけどによる入院

それは 突然の出来事だった

家の敷地内に住んでいるとはいえ

平日は 昼間は おばちゃんと会うことは無い 会社員の私

たまたま 早く帰る用事があったため 明るい陽の中

私の家の玄関横にある庭の水道で

すそを捲り上げて洗うおばちゃんの足を見かけることが

できたのである

わたしは けして いい人ではない

おばちゃんは 大嫌いのほうだったが 足に大怪我してるのを 

間近に見て 知らぬふりができるほど

心臓は強くなかったので 即座 病院に連れて行った

おばちゃんが入院してから 私は 何回か 病院に足を運ぶことになる

もちろん おばちゃんの傷が 手術するほどひどかったこともあるが

なにより 問題が起きたからだ

見舞いに行った親戚が B(ババアの略)に こう言ったからである

「帰るっていって 聞かなかった」

おばちゃんは 異常なほどに家に執着していた

そのとき 何故私は おばちゃんが 家に執着してるのかが

わからなかった だから

わたしが 病院に行ったときも 駐車場まで出てきたおばちゃんが

わたしを見つけて 

「帰る!」と そばの 黒い車に乗り込もうとしたときは 驚いた

・・・・おいおい それ 違うよ 私の車じゃないってば!

最初は 説得

でも 後からは 怒鳴り合いに近い状態になった

みっともないことである

病院の駐車場なのにである

聞く耳もたない・・・すさまじいほど 身勝手わがまま炸裂!

でも おばちゃんを連れて帰ることはできなかった

おばちゃんは 怪我で入院してなきゃだめだということもあるが

本心は 偶然とはいえ やっと 家の敷地の小屋から 引き離せた

絶好のチャンスである

なにより わざわざ 家に連れ戻したくなかったのである

ひとでなしと 呼んでもらってもいい 私も必死である

とうとう 病院の先生に2人ほど 来てもらって 

ようやく おばちゃんを 病室に連れて行くことができた

病院の先生に訳を話して 説得してもらうことにした

おばちゃんの足が腐れたら 家に帰るどころか

足を失うことにも なりかねないことを・・・・

一方 わたしは 何度も 福祉課に足を運んで相談していた

おばちゃんの息子は 今 死んでいないこと みよりがないこと

80歳を越え これ以上 老耄したら 面倒見る人がいないこと

何度も ボヤとか 騒ぎを起こしてること

・・・・

でも 福祉課が 言うことには 老人介護施設などに 入所は

すぐには できないこと

いちおう みよりがないとか 生活保護とか 年齢が高いという条件

だったか(記憶が定かじゃない) 普通の家庭の老人よりは 有利な

条件で 早期入所できるそうだか

当面は 空きの予定がないということで とりあえず 入院も

長くかかるようだし 保留という形で お願いすることにした

つまり 今の病院の退院後は 別の病院で(健老病院) リハビリ治療を

続けながら 短期入院を繰り返す形で 空きを待とうということになったのである

福祉課の方は 私に同情しながらいった

「先を考えすぎてはいけませんよ

とにかく 先に進まなければ どう転がるかわかりませんから

今から 先の不幸ばかりを心配しすぎても しょうがありません」

今も 心に響く言葉である

その言葉どおり

老健病院に移ってからしばらくして おばちゃんは 老人介護施設に

入所できることになった

新しい老人ホームが建設されたからである

おばちゃんの入所した後 何回か行ってみたが

実に きれいなところだった

従来の 古い 汚い病院のイメージを 払拭する建物で

ピンクと白で調和された色合い

廊下は広く 新しいせいもあるが 清潔感あふれるたたずまいだった

2人部屋だったが 間取りもひろく タンスがおいてあったり

あくまでも 個人の家 部屋を連想させるような作りで

思わず 驚きのためいきをついたほどだった

(これなら おばちゃんも 前の生活より ずっといいし幸せかもしれない

ここなら 冷暖房つきだし 小屋みたいに不潔きわまるじゃないし

上げ膳据え膳で 面倒見てもらえるし ・・・)

正直 胸をなでおろした

どこかで 家を追い出したという負い目 後味の悪さを

感じていたからである

・・・ひとでなしの中の ひとかけらの良心が ほっとため息を

ついたのかもしれない

・・・

正直 おばちゃんも すっかりきれいになっていた

数ヶ月に及ぶ 病院の入院生活と入所生活で

驚くほど きれいな 上品なおばちゃんに変わっていた

家の小屋にいるときは 日焼けと 垢で 真っ黒で

裸になっていても 真っ黒っけで どっちが前か後ろかわからないと

Bが よく 悪口を言っていた

大きな体に 汚い服をまとい 浮浪者のようだと

訪問介護のヘルパーさんも あきれていたおばちゃんがである

いいところで良かった

これで 万事うまくいく

わたしは そう信じたかった

・・続く

2007/10/11

ひとでなしの境界線3

そして その日は 暖かい一日だった 

小春日和とでも いうのだろうか

仕事を早く上り家についた私は 玄関先で ひざのところまで捲り上げながら

足を洗っていたおばちゃんに 出くわした

わたしは驚いた

おばちゃんの捲り上げたその足の一部が 白く異様に変色していたからである

・・低温やけどによる損傷

おばちゃんは こたつがダメになったので

練炭を下に置き 掘りごたつみたいにしていたらしい

そして そこで 寝ていたらしい

練炭と足が接触して 低温やけどを広範囲に負っていた

でも おばちゃん自身は 年齢から痛みが鈍く くるものなのか?

それとも 本来の性格の強さなのだろうか?

さほど ひどい怪我だとも思わず ほおっておいたらしい

こんな状態で 福祉施設の共同浴場にも行ってたらしい

「早苗(仮名)さん なんか あしが 腐ってるみたいになってたけど平気で

風呂にきてたよ 見ていた私が 気分悪くなった」というのは 後日

知り合いの おばあちゃんに Bが 聞いた話

見たとたん 止めたばかりの車に エンジンを かけたわたし

「これ ぜったい どうかしてる!

おばちゃん病院にいかないと 大変なことになるよ

わたしが 今から乗せていくから早く 乗って!」

近くの市民病院にかけこむ私

救急外来で診察してもらったら 案の定 即入院!

ということになった

そして

おばちゃんは みよりはない 生活保護ということで

その手続きのため 本家の嫁である

わたしが 福祉課に 何度も足を運ぶことになった

そして そのことは 偶然とはいえ 

おばちゃんを 家から出すきっかけに なったのである 

より以前の記事一覧